2012年03月15日

わしの地震歴

阪神大震災 1995年(平成7年)1月17日
被災場所:神戸市の自宅(9階)
中学2年生
夜明け前、目が覚めるとごごごごごご!!というすごい音が聞こえてきた。その直後部屋をひっくり返すような揺れが始まった。ガッシャンガッシャン上下左右に揺れる部屋。最初はなにが起こったのかわからなかった。空襲?ポルターガイスト?
元親父の部屋だったわしの部屋は本棚が並び、本がいっぱいあったわけだが、全部倒れて部屋が本まみれ。部屋のドアが開かなくなった。親父がドアをぶち壊して部屋から出た。その頃には外はだいぶ明るくなっていた。
うちのマンションのある場所は山の麓で地盤が硬いらしく、周囲の一戸建ては瓦が落ちた程度。マンションでも一回は家具すら倒れていなかったらしい。9階の揺れは異常だった。
ベランダから外を見ると東西から煙がもくもくと上がっていた。

電気が昼ごろ復旧。ニュースで状況を知る。
水、ガスの復旧に時間がかかりそうだったので、親父の田舎に疎開。水復旧までそこの中学で過ごす。

東灘区の被害がひどかったあたりに行ったことがあるが、家屋全滅で、まさに空襲の後みたいな状態だった。
高校卒業くらいまで「なんか揺れてる気がするって」いう状態が続いた。


鳥取県西部地震 2000年(平成12年)10月6日
被災場所:広島県の大学内

講義中に揺れだした。震度4くらいか。机の下に潜った。がっしりとした大学の建物内だったので、それほど怖くはなかったが、やはり阪神大震災の記憶があるのですみやかに潜った。




芸予地震 2001年(平成13年)3月24日
被災場所:広島市の安佐南動物公園

彼女とデート中(当時はリア充だった)、みみずくを見ていたら揺れだした。おそらく震度5強。周りが広い公園状態だったことと、地面に立っていたことから、あまり怖いとは思わなかった。揺れ方は阪神大震災の時の自宅のほうが強烈だった。

動物は暴れてた。
東広島に帰るのに道路が渋滞していて車が動いていなかった中、わしは得意の裏道走行で順調に帰宅。部屋は家具がちょっと動いていた程度。



8・16宮城地震 2005年(平成17年)8月16日
被災地:茨城県つくば市

就職して研修中に揺れた。ただ、震度4と、関東ではあまり珍しくない揺れだったのであまり記憶はない。
関東に行ってから横揺れの地震を初めて体験する。縦揺れより怖いと思った。建物は上下の力に強くできている気がするので横に揺れられると不安になる。



東日本大震災 2011年(平成23年)3月11日
被災地:茨城県つくば市(部屋のみ)

わしはうつで休職→2010年9月に復職→うつ悪化につき2011年2月から休職で神戸に戻っていました。
女子大でカウンセリングを受けていた時間に地震があったらしい。買い物をしているときに妹から「しばらくつくばに戻れんのちゃうか」ってメールが来て、地震があったことを知る。

家に帰ってニュースを見ると、津波が陸地を飲み込んでいく映像が流れていた。この世のものとは思えない光景だった。津波が迫っている間近で車が渋滞している。

この時すでに退職が決まっていたのだが、つくばの部屋のものはそのまま置いてきていたので、引越しをするためにつくばに戻らないといけなかった。たしか3月23日頃。夜行バスでつくばに向かった。

部屋に入るとぐちゃぐちゃ。香炉の灰が部屋中にばら撒かれていた。部屋の壁が一部脱落していた。コンクリートに石が混入していた。というか半分石だった。官舎だったので、手抜き工事されたのだろう。

一番気になっていたのは買ったばかりの40インチの液晶テレビだったが、台から落下していた。その時にこたつの角で画面をぶつけたのだろう、ご臨終していた。一ヶ月ほどしか使っていないのだが・・・

うつと余震と孤独で悶々としながら引越しの準備をするが気が狂いそうになり、母親を召喚した。助かった。一人の時ずっとAKBの動画を見ていたので、今でもそれを見ると当時の気分になってしまう。けどAKBは好きだ。

独身官舎で女風呂がなかったので、母親を連れて土浦の風呂屋に行ったが壊滅していた。

店は暗く、閉まるのも早かった。





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posted by 大前伍長 at 01:33 | ハノイ 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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